2013年5月31日金曜日

人、それぞれ。


最近、当ブログは更新頻度が少なくなった代わりに、一つ一つのエントリーがかなりの長文になってしまっております (どうもすみません)。週1ペースでの更新は守りたいと思っているのですが、書き始めるとなんだかんだで熱が入ってしまい、なかなか書き終わらせることができないのです。というわけで今回、たまには気楽に、書き記そうと思います。



先日、インターネットをウロウロしておりましたら、とあるサイトで、“お風呂のバスタオルは毎回替えるか?” という議論で盛り上がっていました。まぁ、その議題自体は実にくだらないものだと私は思ったのですが、そのサイトではけっこう、ケンカに近い過激なやりとりが行われていました。



私は独り暮らしですので、毎日洗濯をするような余裕も必然性もなく、洗濯はおおよそ週に一度、一週間分をまとめて洗います。バスタオルもその際に洗濯機に突っ込むので、要するに私は同じバスタオルを、だいたい一週間は使い続けています。


ちょっと興味を持ったので、さらにネットを彷徨ってみたのですが、この“日本人のバスタオル交換の頻度”、いろいろなサイトの統計 (とっているんですねぇ・・) をざっくりとまとめると、だいたい

毎回                   40%
2~3回は使う             20%
一週間くらい使う            30% 
もっと使う (気が向いたら洗う)    10%

といった感じでした。ほとんどのサイトで、「毎回替える」 の割合が一番多いという結果でしたが、「複数回使う」 グループをすべて足せば、「毎回替える」 を越えています。

ちなみに外国で一番多いのは、「一週間くらい使う」 のようです。私の海外経験としても、実際に日本以外の国の人が、バスタオルをしょっちゅう替えていたような印象は、あまりありません。


・・・と、ここまで調べ&語った上でなんですが、僕はこんなもの、別にどっちだっていいと思うのです。前出のネットサイトでは、“毎回替える派” の人は “複数回使う派”の人に、「不潔だ!」「ありえない !!」「気持ち悪い !!!」 と、言いたい放題。対して “複数回使う派” の人は、「潔癖症か !?」「水の無駄だ !!」「バスタオルのレベルで汚いってぇのなら、枕カバーやシーツも当然毎日替えてんだろうな !?」 という応酬。・・・う~ん、どっちもどっちだなぁ。


衛生観念や生活スタイルなんて、人間みんな違うのですから、他人が口を出すものではないと思うのです。何時に寝たって、何を食べたって、何を着たって、本人がそれを選んだのならば、それでいいじゃないですか。

人は、それぞれ。「私はこう考えるので、こうします」 で、おおいに結構! 「まわりに合わせよう」 な生き方では、つまんないですよ!! みなさん自信を持って、自分のスタイルを貫き通しましょう!!



2013年5月28日火曜日

子ども達の学力。


まぁまぁ暑いです。あっという間に、夏が近づいてきました。以前にもこちらに書きましたが、私は夏よりも冬の方が好きなため、あまり夏が待ち遠しくはありません・・・。家にはクーラーがないですし。愛犬と遊ぶのも暑苦しくなりますし。



さて今回は、私が率直に感じている現在の子ども達(小学生~中学生)の、学力についての話をします。この “子ども達” とは、陽学舎に通っている生徒だけに限った話ではなく、今現在の子ども世代、全体に通じる話です。


私が先日のゴールデンウィーク中に会った友人の内の一人は、今は小学校で先生をしています。私は塾講師、彼は小学校の教師、共に教育に携わる者として、この “今の子ども達” 論は、そこで非常に盛り上がった話題でした。そして、私と彼の、お互いの意見、お互いが普段から感じている “今の子ども達の現状” は、だいたいが共通しておりました。よって、私が捉える現代の子ども達像は、おそらくはさほどズレのないものかと思いますので(たった二人の意見が一致しただけですが)、それを今回書き記そうと思います。



巷では “最近の子ども達は学力が低下している” とよく耳にしますが、まずはっきり言いたいのは、“それは捉え方による” ということです。

皆さんは、PISA (学習到達度調査) というものをご存じでしょうか? こちらは世界中の子ども達 (15歳) を対象に3年に一度開催され、国ごとの学力を調査するためのペーパーテストでして、その結果はもちろん公表され、要はこれによって “世界のどの国の子ども達が、頭がいいのか” が、はっきりとわかります。


そのPISAの調査結果の、日本の順位の推移は、

           2000年    20003年    2006年 

総合読解力:  世界 8位  →   14位  →  15位 
数学的思考力:     1位  →    6位  →  10位
科学的思考力:     2位  →    2位  →   6位

とあり、明らかに低下している・・・と、データを見る限りはそう感じるかもしれません。しかし実はこの調査、参加国自体がどんどん増え続けており (2000年:32ヵ国、2006年:57ヵ国)、そもそも日本より学力レベルの高かった国が、2000年には参加していなかった、という一面もあるのです。まぁ、それにしたって数学的思考力などは、1位だったものがたった6年で10位となってしまったわけで、2006年に日本より上位だった国のすべてが新規参入国なわけではありませんし、学力が低下している、というのはある程度は客観的な事実なのでしょう。しかし、2009年には

           2000年(32ヵ国中)  2009年(65ヵ国中

総合読解力:  世界   8位     →      8位
数学的思考力:       1位     →      9位
科学的思考力:       2位     →      5位

とだいぶ持ち直しており、総合読解力にいたっては32ヵ国中の8位が、65ヵ国中の8位になったわけですから、むしろ向上しているとさえ言えます。


・・・と、私はまるで学者のように、データを元に子供たちの学力分析をしたいわけではありません。むしろこんな調査などは机上の空論、私は全く信用しておらず、「数字上のデータなんて、どうでもいい!」 とすら思っています。仮に順位が上がっていたとしても、世界全体の学力が落ちていた場合には、それは学力の向上とは言えませんしね。


よって、私はあくまで直接、子ども達と接した上での、自分の経験と感覚をふまえた分析をします。私が見る限り、今の子ども達は、少なくとも “インプット(入力)” の力は、皆、悪くないものを持っています。教科書の内容をよく理解し、必要な知識を身に付けることは、けっこうみんな、よくできているのです。しかし逆に、“アウトプット(出力)” の力は、はっきり言いまして、かなり物足りないと感じます。


極端な例えで簡単に説明すると、「2+3= 」 という問題は誰でもすぐに解けますが、「答えが5になる文章問題を一つ作りなさい」 という問題になると、ほとんどの生徒はしばらく手が止まります。同様に、理科のテストなどで 「どういう結果になるのか説明しなさい」「なぜこの作業をする必要があるのか説明しなさい」 といった問題が出ると、多くの生徒の解答欄は、白紙のままです。

私は授業では理解度の確認のため、私が説明をした後には、生徒から私への同じことの説明をリクエストすることがよくあります。国語の授業では、設問以外にも文章を読んで何を感じたかなどを、生徒に尋ねることがよくあります。そうした中で感じるのは、“理解はできているのだが、その内容を伝えることができない” “文章は捉えられているのだが、その要旨や感想などの表現がうまくできない” という生徒が、非常に多いということです。

私が前出の友人と特に話したのは、「最近の子ども達は、読書感想文の力がかなり落ちている」 というものでした。厳しい表現になりますが、今の中学3年生が書いている感想文の多くは、私が子供の頃ならば、小学生が書いていたような内容のものばかりです。


友達とのメールや、TVゲームからは、アウトプット力はほとんど身に付きません。インターネットなどでせっかく手に入れた情報も、“知っている” だけで満足してしまっては、アウトプット力はなかなか育ちません。


“何かを考えて、誰かに伝える” ことが重要なのです。

陽学舎の生徒のみんなは、自分が観たテレビ番組や漫画などの、感想を語り合ったりしていますか? 良い本を読み、良い映画を観て、その感動を人に伝えたりはしていますか?


誰かから教わる+自分で考える=本当の勉強、です。考える癖と力がつけば、自分の考えを人に伝えたくなるのは、自然な流れです。社会人になって求められるのは、“自分で考えて、新しい何かを生み出すことのできる能力” ですよ。上司の指示内容を理解し、指示通りに完璧に仕事をこなしたとしても、「そんなものできて当たり前だ」 と思われるだけで、それでおしまいです。


みんな苦手・・・ということは、逆に言うとそれを磨くことができれば、そこにチャンスが転がってくるわけです。

子ども達諸君! もっともっとたくさん、いろんなことを考えて、それをどんどん吐き出そうぜ!!



2013年5月9日木曜日

グローバルな人間とは。


しばらく更新をしていない間に、気がつけば5月に入ってしまいました。毎年のことですが、やはりこの時期は温暖で過ごしやすく、4月に変化があった環境にもだいぶ慣れ、緊張感がなくなり、“のんびりモード”に入ってしまう生徒がとても多いです(いわゆる5月病というやつですね)。まぁ、人間の1年のサイクルの内の一つとしては、こんな時期があってもいいかな、というのが私の考えですので、別に 「みなさん5月病に打ち勝ちましょう!」 と強く訴えるつもりはありません。


5月病とも、うまく付き合えばいいと思うのです。のんびりモードにどっぷりと浸かりすぎて、毎日ゆる~い気分で眠くてしかたがない・・・では、もちろんダメです。逆に、5月病には絶対に負けてたまるか!というような熱い意気込みも、なんだか余裕がないように感じて、ちょっと損な気がします(もちろん受験生は除きますよ!)。ウトウトしながら無駄に過ごすわけでも、気合入りまくりで過ごすわけでもなく、暖かくて過ごしやすいこの時期は、ゆったりと有意義に過ごせればいいのでは、と思います。勉強はきちんとしつつ、美しい草花の鑑賞を楽しんだり、たまにはオシャレしてお出かけしたりと・・・。



それでは、私はゴールデンウィークを有意義に過ごせたのかと言いますと、まぁ・・・基本的には家でのんびりしていました。3日に一度くらいは人と会う約束があり、家を出ましたが。それ以外はずっと家におり、家では映画を観たり本を読んだり、がほとんどでした。・・・これで有意義と言えるのかどうかは、なんともいえませんね。

去年のゴールデンウィーク&お盆休みと、完全に一緒です!! どうやら大型連休にはどこにも行かずに、家で映画を観まくる・・・が、すっかり私の定番のスタイルになってしまったようです。本当はまだまだ、行きたい場所はたくさんあるのですが。人込みが苦手な上に、費用面での割高感があるので、いつも結局、行動には移していません。その分、ローシーズンに3~4日でも続いた休みがあれば、私はこれまでも積極的に旅に出ていましたし、今後もそうしようと考えています。


特に海外には、もう3年以上は行っておりませんので、そろそろ欲がたまってきております。大きな旅でなくとも、せめて韓国ぐらいにはサラッと行きたいですね。最近、韓国への日本人旅行客が大幅に減っているそうなので、なんだか寂しいですし。ちなみに私は日本人として、韓国という国に対しては国家レベルでは多少なりとも不満がありますが、韓国人そのものは大好きですし、良き友人もいます。



私はハングルは全く話せませんので、韓国の友人とは英語で話します。そして韓国人の若者たちの英語のレベルは、我々日本人と比べると、正直に言って “はるかに高い” というのが、私の率直な印象です。


ズバリ、日本人は、英語が苦手です。しかし世の中は、産業面でも、情報面でも、世界を意識した目線が必要とされる、いわゆる “グローバル” な時代に変わってきています。そんなわけで日本では、いつか世界を舞台に活躍できるようにとの願いを込めて、産まれてくる子供に“あれん”君や“れいら”ちゃんといった名前をつける親が、だいぶ増えてきているようです。


・・・しかし残念ながら世界では、そんなことは求められていません。日本人っぽい顔をしていても、名前が欧米風では、その人物は日本人ではないと思われます。そして、相手が流暢な英語で話しかけてきた結果、うまく返せない+「私、実は日本人なんです」 という流れがあり、「なんだ日本人か」→「日本人はやはり英語がダメだな」 と、よけいなガッカリをさせてしまうわけです。逆に、「私は日本人です!」 が丸出しの人間には、よくも悪くも英語のレベルはさほど期待されませんから、相手に無駄なガッカリは発生しません。


「だから日本人はもっと英語をマスターするべきだ」・・・と言いたいのではありません! 私たちが本当にグローバルな人種になるためには、変に “形から” 欧米に迎合するのではなく、日本人として、日本の文化や伝統、価値観に誇りを持ち、日本のことをより深く知り、その上で外国人とたくさん接する必要がある、ということです。私は世界を旅する際には、とにかく外国人(現地人)と積極的にコミュニケーションをとりますが、彼らが私に興味を持ってくれるのは、私と言うフィルターを通して、日本という国に興味があるからなのです。



外国のことをたくさん知るのが、すなわちグローバル、ではありません。英語を流暢に話せるようになることも、単純にグローバルというわけでもありません。グローバル化における日本人としての一番重要なファクターとは、実は “日本をより深く理解すること” なのです。



外国に行くと、現地人は私に対して “日本という国から来た人間” であることを期待します。私が英語をうまく話せるかなんて、皆さんたいして気にしていません。「日本ってこんなところだぜ!」 をおもしろおかしく伝えると、みんなが興味を持ってくれ、話が盛り上がります。海外で商売をするとしても、相手にとってはこちらが “日本人である” ことが興味のきっかけになりますし、信頼のポイントにもなります。外国のことをちょっと勉強して、知った気になって、調子に乗って外国人に受けそうなものを作ったとしても、その国で売れる商品を作る能力は、現地人には敵うはずがありません。


韓国の若者が日本の若者よりもだいぶ英語を使いこなせている要因は、もちろん学校教育の質の差もあるのでしょうが、日本人よりも 「祖国の魅力を海外に伝えたい」 という熱が強くある(ように感じます)という一面も、大きいように思われます。



生徒諸君! 君が “世界に羽ばたく人間” になりたければ、「自分は英語が話せないし・・」と弱気になる必要なんてありません。何よりも大切なのは、よりたくさんの “日本” を知り、日本という国(&人)の魅力を世界に伝えようと思う、その気持ちです!!



グローバルな時代だからこそ、あなたの中にある “日本” を磨き上げ、大切にする。なんだかスケールの大きな話になってしまいましたが、たまには世界一周経験者としての一面も、出したくなってしまったのです!!