2012年5月10日木曜日

いつかはこんな会話を。


前回に引き続き、今回も映画についての話題です。



僕は好きな映画は所有したくなるタイプの人間でして、家にはDVDが50枚ほどあります。レンタルをせずにわざわざ買っているわけですし、そのほとんどは一度だけではなく、繰り返して何度も何度も観ています。


その中でも一番観ている映画は何かと言えば、それはダントツで 「いまを生きる」 ですね。













間違いなく一年に一度は観ているので、これまでに20回は超えているかと思います(1989年の映画です)。観ればいまだに100%の確率で泣いてしまうので、僕にとっては普段の生活の中でなんだか “心が濁ったなぁ” と感じた際に鑑賞し、その涙で心の汚れを落とすという、そんな映画です。僕が感動で泣いてしまう映画は、他にはあまりないのですけどね。



映画は、全寮制の超エリート高校に、キーティングという国語教師が新しく赴任して来るところから始まります。エリート校らしく、それまでは勉強をして良い成績を残すことだけがすべてという、そんな価値観の生徒ばかりの学校でしたが、キーティングのとても型破りな授業を通して(教科書を破り捨てたりします)、生徒達は “生きるとは何か” を学び、変わっていきます。



僕の号泣ポイントはもちろんラストシーンなのですが、実はこの映画の中盤に、僕がそれ以上に大好きなシーンがありまして、その概要をここに書かせていただこうと思います。



内気で気弱な転校生のトッドが、夜中に校内のとある橋の上に座り、何やらしょんぼりしています。そしてその前を通りかかったルームメイトのニールが、そんなトッドに気付き、声をかけます。

ニール 「どうしたんだい?」
トッド 「・・・今日は僕の誕生日なんだ。」
ニール 「そいつはおめでとう! でもなんで、落ち込んでいるんだい?」

トッドの横には、新品のデスクセット(日本では馴染みがありませんが、画板のような大きさの板にペンや定規やハサミが乗っている、文房具のセットです)が置いてあります。

トッド 「両親から、プレゼントとして届いたんだ。」
ニール 「よかったじゃないか。」
トッド 「でもこれ、去年と同じ物なんだ。」
ニール 「・・・・必要だと思ったんじゃないか?」
トッド 「そうだね・・・・」


沈黙の後、デスクセットを手にしたニールは、そのセットをなめ回すように見つめ、変なことを言い出します。

ニール 「この形、空気力学的だと思わないか?」
トッド 「・・・?」
ニール 「飛びたがっている。そう思わないか?」
トッド 「・・・(笑)」
ニール 「世界初、無人の空飛ぶデスクセットだ。」

セットを受け取ったトッドは、橋の上から豪快に投げ捨て、それは見事にバラバラに飛び散り、二人は大笑いします。



・・・この時点でも、充分すぎるほどにステキな二人のやりとりなのですが、最後にニールがトッドに発した一言が、とにかく僕は大好きなのです。


ニール 「気にするなよ。どうせ来年もまた、同じのをもらえるさ!」



・・・・最高じゃないですか、この一言? 落ち込んでいた友人の、その悲しい気持ちをスッキリさせるだけでなく、この一言で友人を落ち込ませた原因すらも、笑い話に変えています! なんて気持ちのいい、なんて優しい、なんて魅力的な男なんだ、ニール!!




一本の映画の、たった数分のシーンですが、このシーンは僕の人間形成に大きな影響を及ぼしています。初めて観た時から僕は、ニールのような人間を目指し、いつかニールのような会話ができるようになりたい、と思ってきました。傷ついている人の、その悲しみを吹き飛ばし、さらに豪快に笑わせてしまうような、そんな人間になりたい。どこまで実現できているかはわかりませんが、その気持ちは今でも、変わっていません。



ちなみにこの映画 「いまを生きる」 は、高校時代に家で友人に観せたところ、それからその友人は 「俺は教師になる」 と宣言し、彼は今では小学校の教員として日々、一生懸命に頑張っています。


最近の子どもたちを見ていると、映画や本で “人生が変わった” という経験をしている子は、あまりいないように感じます。いい映画をたくさん観て、いい本(漫画でもいいです)をたくさん読むだけでも、それは人生の礎になると、僕は思います。



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